12月4日、ある夢を見た。それが引き金となり、私は失った記憶を取り戻すこととなった。
私は引っ越しをたくさんしている。父の仕事が転勤が多かったためだ。
すばらしい経験もできたが、幼なじみがいないなど、つらい経験もした。私は高校受験を機に日本に完全に帰国した。
いきなりの制服、服装頭髪チェック、純粋にくだらないとしか思えない規則の数々や先生の態度など、海外から来た私にはいきなりキツいことばかりだった。
教師は、本当に教師か?と思えるような死んだ目をしていた。とても大人の模範とは思えないような質の悪い非人間的な態度の先生たちだった。これが日本の教育現場か、とショックを受けた。
日本では、先生は小学校から中学、高校と上がるにつれて、どんどん威圧的で権威的な態度に変貌する。子どもになめられたり下に見られたりしないように、学級崩壊の防止や円滑な学校運営のためにだ。だから、どんどん規則を作って、大きい声で怒鳴って、厳しくする。
私はたまたま初めて高校に行った日に、女の子たちを大きな声で怒鳴る先生を目撃してしまった。すごく驚いたし、怖かった。とにかく言いなりじゃないと、刑務所の刑務官みたいにすごい声で怒鳴られると思った。私は惨めな収容者なのだ、と感じた。私は亀のように首を引っ込めて学校生活を送ることとなった。
そこには主体的な行動とか、個性の尊重なんて存在しなかった。
同じ制服、同じ髪の色。私はもともと髪の色が茶色く、小学校のときに友達から「ソフィは髪が茶色いから、中学上がったら絶対先生に何か言われるよ」と言われていた。結局なにも言われることはなかったが、内心ビクビクだった。
みんなはこの風潮に中学校で慣れていた。先生が怒鳴っても、それにヘラヘラと対応できていた。みんなは流れる魚のようだった。
自分が違和感の塊で、別の生き物なんじゃないかと思った。私は入学早々、目立つ存在になってしまった。
今思えばASD(自閉症)の気があったんだと思う。
なぜ自分もみんなと同じ制服を着ているのに、集団の中で目立ってしまうのか。普通がわからなくなり、混乱した。ペンの持ち方やしゃべり方、咳の一つ。指の先まで普通がわからなくなってしまった。息が苦しくなった。動きの一つ一つを気にするので、体中が常に苦痛だった。声を出さないように極力していたので、家に帰ると声がカスカスだった。
それらの奇行を笑い出す子たちが現れた。聞こえる声でからかわれたり、剣道の授業でサンドバッグみたいに扱われたこともあった。
何人かの先生は私をネタにみんなのウケを取ろうとした。「ソフィみたいになるなよ〜」と笑えない冗談をみんなの前で言う先生もいた。
本当に傷ついた。
進学校だったので、早慶上智やMARCHを目指すことは当たり前だった。受験がせまると、授業中ちゃんと答えられないと嫌な言葉で罵倒する先生もいた。私は自分の本当の意に反して、流されるように「いい大学」に入った。
大学に入るとすぐに高校時代の記憶が頭から消えた。同級生の名前も顔も風景も、グレー色にモヤがかかったように思い出せない。
私は高校時代を「なかったこと」にしたのだ。私は友達と充実した高校時代を過ごした周囲の人たちがうらやましかった。「なかったこと」の3年間は、実は自分の中でなくなっていなくて、私を苦しめ続けた。
そして、高校の頃の自分を否定するために、今度は破天荒で派手な行動を取るようになった。
でも破天荒で向こう見ずな行動はどんどん私を追い詰めていき、私は混乱していった。
私は手首を切った。
記憶を消しているためつらさの原因がわからず、言葉にできない私のSOSだったのだろう。自殺未遂も何度もした。
大学では就職活動の時期が来て、みんな同じリクルートスーツを着て、髪の色を黒に戻し、何社も受けていた。私はその姿が高校時代とダブった。同じ服装、髪色、言葉遣い。
自己PRの場では採用者がウンウン言うような「エピソード」が欠かせない。「私はラグビー部の部長としてこういう活動をしました」とかそういうやつ。
私には破天荒な大学時代と苦しかった高校時代しかない。すっからかんだ。面接官がうなずくような肯定的な話は何一つ出てこない。必然的にみんなのように堂々とした態度で就活に臨むことができず、数社に出した書類選考で落ちて、それっきり就活をやめてしまった。
「先生の言いなり」が「企業の言いなり」に変わっただけの工業製品。そんな空気が日本の社会全体に流れている。学校を出たら終わりと思っていたのに、学校っぽさは会社に入っても続く。
私は流れ作業のレールに乗れなかった。相談先もない。社会が怖いと感じた。
高校で経験したことがあまりにも大きな影を私の人生に落としていた。大人になってもどうしても心に凹凸ができてしまったのは戻せない。集団への違和感も消せない。
どこかしら機械的で無表情の猫たちはあの頃の自分だ。
今も高校生の自分は消えていない。母親になって喪失したと思っていた過去の自分は隙あらば夢の中や現実で顔を出す。そう簡単に消えるはずがなかったのだ。でもそれはまぎれもなく自分自身だ。
わたしはそのペルソナを受け入れ、生きる力に変えていきたい。