不登校から1年経過

今思えば学童の先生が怪しかった。


息子が不登校になりだしてから、学校じゃなくて学童の先生からなぜか電話がかかってきて、「○○くんの場合は単なる怠けです。」と言い切ってきたり、「○○くんのせいでみんなが悪影響を受けている」みたいなことを急に言われたことがあった。

あと、夜遅くになんて一歩も出歩かせていないのに、「夜8時にうちの指導員が○○くんが一人で自転車に乗っているところを見たのだが」という電話もその学童の先生から来た。

 

そのあたりから、同じ学童に通う子ばかりが、学年を越えて息子のことを「ズル休み」と言うようになった。道ですれ違った全然学年の離れている女の子二人が、息子を見て陰口たたく様子もあった。
その先生は4月になってから別の学童に異動になり、それからは学童の子たちからの「ズル休み」呼ばわりは消えた。


私は不審に思った。その先生は前にも、うちが余裕なすぎて息子の破れたズボン直さないでそのまま履いていったら、「○○くん、ズボン破けてる~変なの~。」と息子に言ったことがあった。そりゃ、直さなかった私も悪いけども、「変なの~」ってなんかいやな言葉だと思った。


とにかく、今になってはなにもわからないままだけど、なんか不登校になってから1年経った今になって思うと、不審に思うことだった。

 

それにしても今日はうるさい日である。ASDの気質でひとつの物事を考え出したらそれに脳内を支配されるので、同じことを1日や2日繰り返し言い続ける。
今日はほしいものがあり、お小遣いがほしいので1日中「おこづかい~は~おこづかい~」とピクミンの歌風に歌い続けている。
気がおかしくなりそうだ。「出て行け!」と暴言を吐きそうになるのを必死でこらえている。

子どものことで自分の夢を諦めようとよく考えるが、そんなことしたら一生子どもを呪ってしまう自分がいるからやめる。

ペルソナ

12月4日、ある夢を見た。それが引き金となり、私は失った記憶を取り戻すこととなった。

私は引っ越しをたくさんしている。父の仕事が転勤が多かったためだ。
すばらしい経験もできたが、幼なじみがいないなど、つらい経験もした。私は高校受験を機に日本に完全に帰国した。

 

いきなりの制服、服装頭髪チェック、純粋にくだらないとしか思えない規則の数々や先生の態度など、海外から来た私にはいきなりキツいことばかりだった。

教師は、本当に教師か?と思えるような死んだ目をしていた。とても大人の模範とは思えないような質の悪い非人間的な態度の先生たちだった。これが日本の教育現場か、とショックを受けた。

日本では、先生は小学校から中学、高校と上がるにつれて、どんどん威圧的で権威的な態度に変貌する。子どもになめられたり下に見られたりしないように、学級崩壊の防止や円滑な学校運営のためにだ。だから、どんどん規則を作って、大きい声で怒鳴って、厳しくする。
私はたまたま初めて高校に行った日に、女の子たちを大きな声で怒鳴る先生を目撃してしまった。すごく驚いたし、怖かった。とにかく言いなりじゃないと、刑務所の刑務官みたいにすごい声で怒鳴られると思った。私は惨めな収容者なのだ、と感じた。私は亀のように首を引っ込めて学校生活を送ることとなった。


そこには主体的な行動とか、個性の尊重なんて存在しなかった。


同じ制服、同じ髪の色。私はもともと髪の色が茶色く、小学校のときに友達から「ソフィは髪が茶色いから、中学上がったら絶対先生に何か言われるよ」と言われていた。結局なにも言われることはなかったが、内心ビクビクだった。


みんなはこの風潮に中学校で慣れていた。先生が怒鳴っても、それにヘラヘラと対応できていた。みんなは流れる魚のようだった。
自分が違和感の塊で、別の生き物なんじゃないかと思った。私は入学早々、目立つ存在になってしまった。

今思えばASD(自閉症)の気があったんだと思う。


なぜ自分もみんなと同じ制服を着ているのに、集団の中で目立ってしまうのか。普通がわからなくなり、混乱した。ペンの持ち方やしゃべり方、咳の一つ。指の先まで普通がわからなくなってしまった。息が苦しくなった。動きの一つ一つを気にするので、体中が常に苦痛だった。声を出さないように極力していたので、家に帰ると声がカスカスだった。


それらの奇行を笑い出す子たちが現れた。聞こえる声でからかわれたり、剣道の授業でサンドバッグみたいに扱われたこともあった。

 

何人かの先生は私をネタにみんなのウケを取ろうとした。「ソフィみたいになるなよ〜」と笑えない冗談をみんなの前で言う先生もいた。

本当に傷ついた。

 

進学校だったので、早慶上智やMARCHを目指すことは当たり前だった。受験がせまると、授業中ちゃんと答えられないと嫌な言葉で罵倒する先生もいた。私は自分の本当の意に反して、流されるように「いい大学」に入った。

大学に入るとすぐに高校時代の記憶が頭から消えた。同級生の名前も顔も風景も、グレー色にモヤがかかったように思い出せない。
私は高校時代を「なかったこと」にしたのだ。私は友達と充実した高校時代を過ごした周囲の人たちがうらやましかった。「なかったこと」の3年間は、実は自分の中でなくなっていなくて、私を苦しめ続けた。

そして、高校の頃の自分を否定するために、今度は破天荒で派手な行動を取るようになった。
でも破天荒で向こう見ずな行動はどんどん私を追い詰めていき、私は混乱していった。

 

私は手首を切った。

記憶を消しているためつらさの原因がわからず、言葉にできない私のSOSだったのだろう。自殺未遂も何度もした。


大学では就職活動の時期が来て、みんな同じリクルートスーツを着て、髪の色を黒に戻し、何社も受けていた。私はその姿が高校時代とダブった。同じ服装、髪色、言葉遣い。
自己PRの場では採用者がウンウン言うような「エピソード」が欠かせない。「私はラグビー部の部長としてこういう活動をしました」とかそういうやつ。
私には破天荒な大学時代と苦しかった高校時代しかない。すっからかんだ。面接官がうなずくような肯定的な話は何一つ出てこない。必然的にみんなのように堂々とした態度で就活に臨むことができず、数社に出した書類選考で落ちて、それっきり就活をやめてしまった。


「先生の言いなり」が「企業の言いなり」に変わっただけの工業製品。そんな空気が日本の社会全体に流れている。学校を出たら終わりと思っていたのに、学校っぽさは会社に入っても続く。

 

私は流れ作業のレールに乗れなかった。相談先もない。社会が怖いと感じた。


高校で経験したことがあまりにも大きな影を私の人生に落としていた。大人になってもどうしても心に凹凸ができてしまったのは戻せない。集団への違和感も消せない。

 

どこかしら機械的で無表情の猫たちはあの頃の自分だ。

今も高校生の自分は消えていない。母親になって喪失したと思っていた過去の自分は隙あらば夢の中や現実で顔を出す。そう簡単に消えるはずがなかったのだ。でもそれはまぎれもなく自分自身だ。

わたしはそのペルソナを受け入れ、生きる力に変えていきたい。

 



学校現場・国に伝えたいこと

今日小2の息子がポツッと、「世界中に自分が不登校であることが知られて、世界中にズル休みって言われないかな」と怖そうに言っていました。

 

不登校は子どものせいではありません。母親である私のせいでもありません。私の子どもの場合は、学校の先生に原因がありました。でもそのことには学校側の人は一切触れませんでした。子どもが休み出した頃、担任には「お母さんはどうしたいんですか」「低学年に学校に来させないなんて一体お母さんはどういうつもりですか」「低学年で支配できるうちに大人が学校に行かせないとダメだ」「親が学校に行くように導いてあげていないといけない」と言われました。明らかに先生に原因があったのに、シングルマザーという弱者に責任を全てなすりつけた。両親揃っていたら、学校側の出方は全然違っていたと思います。自分の教育者としてのプライドのために責任は立場の弱い者になすりつけて構わないのでしょうか。

 

子どものメンタルも無視されました。発達の凹凸があることを話しても、全く聞いてもらえませんでした。「来ちゃえば大丈夫なんだから来ればいいのに。なんで学校に来るという簡単なことができないのか理解ができない。」と何度も担任の先生に言われました。先生が原因で行けないのに、その時は曖昧に笑って反応することしかできませんでした。何人かの学校関係者は、明らかに態度が以前と変わりました。噂でも広まっているのでしょうか。子どもこそ、その悪い雰囲気をチクチクと肌で感じ取っていて、地域自体に居づらくなっています。

日本はひきこもりも不登校も家族内で問題を抱え込むことになりがちです。不登校に対して世間も冷たすぎるので、外に出れていたのが出れなくなり、次第に家族ごと追い詰められていきます。

たまたまそういう地域に住んでしまったのでしょうか。そうは思いません。どこも似たり寄ったりだと思います。

 

学校が大変なのはわかっています。人手が足りていないことも、やらなきゃいけない課題が山ほどあることもニュースで聞いて知っています。でも、だったら、今ある担任制や、紙媒体というアナログ形式、昭和のまま続いてきた様々な無駄を省いて、少しでも子どもの心に向き合える余裕を取り戻す工夫をしたらいいと思うんです。自分たちが「大変大変」言ってて、肝心な子どもの心を無視するから、学校のクラスの子どもたちが陰険なムードになってくるんじゃないでしょうか。

私の子どもが不登校になって、学校の先生たちからは「学校は社会の縮図で、学校でしか学べない大切なことがたくさんあるから、来ないと子どもの将来はお先真っ暗ですよ」ということをよく言われました。この「学校は社会の縮図」というところは、正しくは「学校は壊れた社会の縮図」ではないでしょうか。

上位者の鬱憤の矛先は弱者に必ず向かいます。教師は子どもたちにとって学校で見習う大人です。その先生が人間的に未熟だと、その価値観は子どもにまっすぐに反映されます。学校現場では、圧倒的に多数派が重んじられます。足並みを合わせられない子やはみ出た子は、他の子に迷惑をかける「問題児」と扱われる。現代では小1でも陰湿ないじめが起きるそうです。息子の場合はいつも同じ男友達と遊んでいたら、同じ小2の子に「お前らどういう関係なの?」と揶揄われました。差別をこんな小さい子に植え付けたのは、誰でしょう。身の回りの大人ではないでしょうか。

こんなにテレビでLGBTQや発達障害などのことを報道しているのに、現実では差別大国だと肌で感じます。「特別支援級」に発達障害などの子を集めて普通級とわけてしまうというのも、国連からはやめるよう勧告を受けているのに。多様さが受け入れられない社会は、そのまま停滞してしまうと思います。

 

学校教育者なら、カリキュラムとかプライドとかそういうこと以前に、子どもの心の基盤を形成することが一番大事ということがわかっていなければいけないと思います。そこがすっぽ抜けている。開いた口が塞がりません。この社会はこのままでは廃れていくでしょう。

今一度、子どもの教育が何のためにあるのか、立ち止まって考えて欲しいと思います。国としては学校に通うことだけを唯一の正解とせず、フリースクールなど選択肢を多様化しようとしている段階に来ています。フリースクールに通う不登校児童の保護者がアンケートに回答すれば、月2万円調査協力金が出るという制度もあります。しかし、学校現場は国の方針とずれていて、いまだに学校に通うことが唯一の正解としています。これって、保護者も子どもも混乱しないでしょうか。

デンマークでは、子どもの教育は国の成長につながるから、国で支えることが当たり前になっています。日本の義務教育は「親が子どもに教育を受けさせる義務」です。日本も親にその責任の全てを負わせるのでなく、国策として土台から支えてほしいと思います。